いろんなおはなし

良い年してジャニーズWEST小瀧くんに堕ちた人の独り言

元担のお話

気付けば前回のブログを書いてから1か月も経ってしまいました。そうです、仕事に追われています。今も暇じゃないはずなんですけど。飽きた。笑

 

今日は「事務所を辞める」ということについて考えてみたいと思います。だらだら今の考えを文字にしているだけの文章です。と思っていましたが、書いてみると元担に対する思いをつらつら書いているだけになったので、元担のおはなしとしました。笑

※最後の方はちょっと読むに堪えない内容です。あ、やばい、と思ったら読まない事をお勧めします。そして閉じます。

 


私の元担は、私が担当している時期に事務所を退所しました。2011年12月30日に"LAST LIVE"と銘打ってライブをしています。*1
私の認識が正しければ、「これが最後」とファンに伝え、自分のファンにさよならを伝えられたのは、2000年に卒業した小原くんとFiVeの3人だけではないでしょうか。*2

FiVeの3人の退所発表(と捉えられるもの)は、11月のツアー最終日、SHIBUYA-AXでした。石垣くん多忙のため、3人でのツアーの最終日、あの大きなSHIBUYA-AXがぎゅうぎゅうで。長谷川純くんも見に来てくれていたし、石垣くんも見に来ていました。石垣くんが出てきて挨拶した瞬間、すごく嫌な予感がしたのを覚えています。何か言いづらい事を言う瞬間でした。後から考えるからこう思うのかもしれませんが。
「活動停止」との発表でした。彼らの活動停止は退所を意味する事は明らかでしたが、「退所する」と公言は出来なかったのか、煮え切らない言い方でした。しかし石垣くんは事務所に残るんだ、と理解した記憶があるので、遠まわしでも、「退所する」事をファンに伝えようとしていたのだと思います。また、記憶が曖昧ではありますが、牧野くんが*3「こうやって皆さんに伝えられるのは、この事務所にいてとても幸福なことだし、僕らはいなくなるわけじゃなく、今後も皆さんの前に立てるのだから、悲しむことではない」というニュアンスの事を言っていました。
あの発表時の悲鳴を思い出すと今でも感情が迷子になります。まさに悲鳴でした。退所後、3人でバンド活動をする事は決まっていたからだとは思いますし、本人たちは散々悩んで、きっと想像もつかないほど(期間も深さも)悩んで悩んで出した結論だからか、とてもあっさりというか、普通の事(のように)発表していた記憶があります。
当日は本当に壮絶でした。悲鳴の後はすすり泣く声、嗚咽。ライブ中も絶えることなく聞こえていました。結構平穏な人生を送っていると自負しているので人と比べる事は出来ないですが、今までで一番壮絶な時間でした。

本当に思い出すだけでも壮絶ですが、その後、11月・12月と濃厚なツアーをしてくれましたし、退所後2カ月ほどで活動を再開してくれましたので、退所組を担当していたおたくとしては、本当に恵まれていたと思います。
現状、本当に退所して正解だったのかは、本人たちが決める事ですし、片方は捨てた道ですので残っていてもどうなっているか本人たちにも分からないのは理解していますが、今でも頻繁に「事務所に残っていれば」と思う事があります。距離が近すぎるのも考えものなのかもしれませんし、狭い世界でおたくを続ける事はコミュニケーション能力が試されるな、と強く感じています。また、私はキラキラしているあの事務所が大好きで、その中に存在する彼らを好きになったのだから、そう思うのは当然の事なのかもしれません。


「最後の日」は、あっけなく訪れ、あっけなく終わりを迎えました。最後のツアーはとても楽しく、本当に充実していました。ツアーでは、完全燃焼出来たと思っています。期待しすぎていたのか、ただの一ファンのエゴなのだと思いますが、本当に「最後の日」はあっけなかったのです。
3人にとってはこの先もありますし、むしろこの先に向かって進み始めていたのでしょう。名残惜しさも全くなく、いつも通り、いや、いつもよりあっさりとした終わりに感じました。実際2ヶ月後に再び舞台上で演奏する彼らを見れる事になりましたが、当時は次いつ見れるかも、むしろ今後見れる事があるのかどうか定かではなく、本当の最後かもしれない、という想いも強かったですし、4人でのFiVeというバンドはあの日終わりを迎える事は確かだったのに。FiVeの曲をもう出来ないかもしれない*4のに。もっと"FiVe"というバンドに名残惜しさを見せてほしかった。私が好きになったバンドに。*5全ては本当に一ファンのエゴですが。


彼らが事務所にとってどのような存在だったのか分かりませんし、退所後の活動を見て推測する事しか出来ませんが、とてもいい関係を持ったまま退所をしたと思われます。
初LIVEには事務所関係から花が届いていましたし、現在グッズ販売を担当しているのも事務所関係、プロデューサーとしてついてくれている方も事務所に関係している方だと聞いています。また、退所後、カバーという形を取っているとしても、昔の曲を舞台上で演奏出来たのも異例な事だと認識しています。
いい関係だとしても、彼らがやりたいことが出来ていたとしても、やはり昔を恋しく思ってしまうのは、私の絶頂が元担に降りたころだからでしょう。J-ROCKで活動していた過去はもう戻ってこないですし、もう同じ楽しさは味わえません。"絶対にない"と思うからこそ、戻りたいと思うのが人間なのかもしれません。

また、私がこんなに過去を引きずるのは、前述した"絶対にない"過去を偲んでいるだけでなく、今を楽しめていないからでしょう。本当に個人的な問題なので、本人たちが悪いとか誰かが悪いとかそういう話ではなく、私には合わない、というだけな事を前提として。
事務所にいた頃は、ライブハウスを満員にしていて。チケットを取るには気合いが必要で。特に前列にいるファンは全力で全身で楽しんでいて。
今はあの頃の面影は残っていません。ライブをしても真ん中以降はスカスカ。チケットは当日券が必ずあって。前列はいつもいる人たち。もちろんその距離感を楽しんでいる人もいるでしょうし、ただただ演奏を楽しんでいる人もいるでしょう。私には合わないだけなのです。"じゃあ行かなきゃいい"。もちろんそうです。そうなのです。空気が合わなくても、私は牧野紘二という人が好きで応援したいという想いを未だに捨てきれずにいて、楽しくなくても、牧野紘二という人を見ているだけで幸せになれる、低燃費な性質を捨て切れていないから、こんなにモヤモヤしているのでしょう。

彼らから離れたい、という想いを持ちながら、やはり彼らが大きくなるところを、過程をこの目で見届けたいという気持ちも大きいのです。フェスに行くたびに、フェスの感想を読むたびに、彼らもこの舞台に立ってほしい、もっと色んな人に彼らを知ってほしい、と思っているのですから、私はまだまだ彼らを応援して、モヤモヤし続けるのでしょう。

Plan-B、BigUp!!!

*1:元担は、ジャニーズJr.内バンド、FiVeのドラマー、牧野紘二くんでした。

*2:関係ないですが、2000年のコンサートは奇しくも私の初ジャニーズコンサートでした。確か。

*3:この話は基本的に牧野くんが説明していました

*4:実際は2年ほどはたまに演奏してくれていましたが、今は昔の曲をする事はなくなっています

*5:もちろん私よりももっと思い入れのあるファンの方もいるでしょうし、本人たちはもっと思い入れがあることは承知しています